卒業式の祝辞
本日の卒業式に来賓として出席し、祝辞を述べました。
祝辞
暑い夏、寒い冬を乗り越え、一年にたった1回、見る人を魅了する桜。その桜、春の訪れを知らせるかのように、つぼみは膨らみ、新しい門出を彩り祝う準備が最終段階に入ったような今日、三重県立松阪工業高等学校の教育課程を終えられ、学び舎を巣立ち行く卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
私は、22歳のときに久保中学校に保健体育教師として赴任し、大江中学校、中部中学校と渡り歩き、26年間、中学校現場で多感な中学生と向き合いました。教師という仕事は、オセロゲームに例えると、初めての出会いとなる入学式は白で、次の日からずっとずっと黒が並んでいきますが、生徒たちのそれぞれの成長した姿が見られる、お別れの卒業式の日は白となり、その瞬間に今まで黒だった全てが音を立てて白に変わっていく、そんな仕事でした。
黒を白に変えようと、もがき苦しむけど白にならない、そんな日々を過ごせば過ごすほど、最後は必ず白になり、その白が後の人生までをも、明るく照らしてくれています。
だからこれからの苦労に負けないで、そんなことを言いたいわけではありません。そんなこと言われても苦労はあまりしたくないですよね。私もそうです。
苦労の代わりに工夫を、この難題は、どんな工夫でクリアできるかなって思考すると、ゲーム感覚で楽しみながらできます。私は荒れる中学校現場を安心安全な場所に好転させようとさまざまな工夫を考えて実践しました。工夫の繰り返しの日々となりましたが、自分で考えた工夫だから面白く、結果が黒でも納得できて、さらなる工夫への挑戦ができました。いつしか工夫する日々こそが、結果を得ることより、幸せということに気づきました。
最初から結果につながる素晴らしい工夫なんて出来ません。昭和な言葉ですが、「義理と人情」で生きる中で、工夫は磨かれるように思います。だから義理は欠いたらあかん、人情はかけやなあかん、昔の人が良く言ったこの言葉、私もそう思いますので、皆さんへの「はなむけの言葉」とします。
これからの人生に義理と人情を。
保護者の皆様、お子様の高校卒業という節目の今日は、もしかしたら教師生活のオセロゲームと同じで、今までの苦労の全てが思い出され、それすら今の幸せのためにあったように思える、そんな感慨深い今日ではないかと思います。お子様のご卒業、誠におめでとうございます。
最後になりましたが、子どもたちを汗と愛で育んでいただいた先生方の、そのご尽力に敬意を表するとともに、この地域社会を担っていく力をつけていただいたことに心より感謝を申し上げます。
卒業生の皆さんの前途に、幸多きことをご祈念いたしまして、祝辞といたします。