想い | 三重県議会議員 喜田健児

想い

なぜ政治家になることにしたのか。

「けんじ、やれ。ええやないか」

前任の後藤健一さんの引退による後継指名を受けた時、私を創ってくれた恩師の垂髪隆一先生に相談をかけた。事の経緯をひと通り説明した私に垂髪先生は、開口一番こう言った。

その時、教員になりたての頃、垂髪先生から「自分の人生なんかあらへん、教え子の人生の中に自分の人生があるんや」と喝を入れられたのを思い出した。

それから20数年、目の前の子どもと向き合える教師になるために生活の全てをかけてやってきた。その時々で、教育現場に山積する課題は、政治の場で決められる教育予算や制度、施策などが起因している。国家予算は、大きく経済成長、国家安全保障、社会保障制度をどう担保し、進化、持続化すればいいのかを柱として持ちながら、医療・福祉・介護・防災・農林水産・雇用という国民の生活を安心安全なものにする枝葉の政策が各省庁で打たれている。この時に問われるのが、どこを向いて政治をするのかという公平無私の力である。この力には教育が大きく関わる。だからこそ、教育をないがしろにしてはならない。

政治と関わり政治家の意識を変えなければならない。だとするならば、私の生き方とキャリアは、今の政治に必要であり求められると思い決意した。

 

 

政治や政治家という仕事を意識したきっかけ

 「教育現場に人が足りない」

この声を上げてもこの40年もの間、政治家はこの問題をスルーしてきた。世界では1学級25人が平均なのに。その結果が、昨今の多忙化によって精神疾患を患う教員の異常な増加、なり手不足の社会的問題の深刻化、イジメ、不登校、子どもの貧困、アレルギー、発達障がいの子どもなどへのきめ細やかな対応不全など、今の教育現場のこの課題は40人学級を改善してこなかったつけと言える。

この問題に長年政権を担っている政党が向き合わない理由は何なのか。財務省の壁はなぜ立ちはだかるのか。まさかと思いたいが、選挙を優位に進めるための政治屋の仕業なのか。

許せない。苦しむ子どもたち、そしてその子どもを救うために命を削ってことにあたる仲間を目の当たりして、沸き起こる怒りを抑えられない。

この怒りこそ、私が政治家という仕事を意識したきっかけであり、エネルギーの原点である。

 

 

なぜ政治家という仕事を選んだのか。

 「教育課題を解決するのも政治、政治家次第で未来を変える可能性がある」

政治は、私たちの暮らしや教育、平和までも決定づける。その役目が私にあるので有れば、命を賭けて立ち上がる。これまで子どもたちに「生活の全てをかけてやれ」と言ってきたことが嘘になる。

県会議員という社会的ポジションは、市民運動をさらに深化させることが出来る。政治と選挙を変えるには、その実績とボトムアップでのうねり。若年層に政治への興味関心を持たせて政治への参画を図るには市民運動。私には今までの政治家がやってこなかったことをやるビジョンがある。

仕組みや体制を強化し市民運動を前進させ、政治的な力を持たせる。そして、利権にまみれ、地位を守り選挙に勝つための腐敗した政治を変える。子どもたちの声なき声を、教育現場の声を届ける政治家が力を持つときがきた。子どもがど真ん中の政治が未来を創らなければならない。

 

 

 

松阪市への想い

「松阪は必死にもがいた涙と汗が染み込んだ街、多くの人に助けられた感謝の故郷」

三重県熊野市新鹿町に生まれて、高校卒業まで両親と暮らし、大学4年間で教員の資格をとり,松阪市立久保中学校へ。そこから27年間、もがき苦しみ、助け支えられ、教え育ててもらった松阪。2011年3月11日に起こった東日本大震災、風評被害に心を痛めている福島の子どもたちを松阪祇園祭小若みこし部会が5年間、松阪祇園祭に招待した。「チョーサヤ」「チョーサヤ」、心を傷つけられた福島の子どもたちと松阪の子どもたちの交流みこしが、絆ってなんなのかを魅せつけた。忘れもしない、初年度、福島の子どもたちが被災地の故郷に帰る朝、代表あいさつする女の子がホテルの部屋からなかなか出てこなかった。福島の先生たちは、「少しだけ待ってやってください」と頭を下げる。やっと出てきた女の子は、集まった十数人の世話人に対して、「私は震災後、世間では絆きずなって言っていたけど、一度たりと絆を感じたことはなかったです。しかし、松阪に来させていただいて、こちらの中学生と一緒にみこしをチョーサヤ、チョーサヤと大きな声を出して担がせていただき、初めて絆を感じることができました。」涙を流しながらそう言いました。そして、ふっと呼吸して振り絞るように「キズナってー、見えるのですねー、本当に良くしていただきありがとうございました。」と言って絶句し、頭を深々と下げました。そこにいる福島の人も松阪の人も全員の頬に涙が流れた。そんな松阪だから私は勝負したいって思えた。

 

 

松阪市、三重県をどのように変えていきたいか。

「学校をプラットホームにした地域活性化三重モデルに ~三重県を良くして、この国を救う~」

教育現場で「この子よりも先に死ねない」と我が子を横にして三者懇談会で涙したお母さんの声、「たった一人の命と幸福を見つめて欲しい」と置き去りにされ命を絶つ人を見てきた人が訴える声、「環境問題に待ったはない、最優先でしょ」と未来を生きる子どもたちの声、このような悲痛な叫び声や「もっとこっちを」という声なき声を聴いてきた。このような声の共有化を図り、医療・介護・福祉・労働環境・防災・雇用などの施策に生かさないといけない。障がい者等の社会的弱者の視点を入れた施策によって、誰もが安心して安全に暮らせる社会をつくる。また、学校と地域や団体がタッグを組み、スポーツや音楽の芸術文化を通して、外国人との地域コミュニティを共に作り出す多文化共生社会を実現していく。

 

 

なぜ教育という政策に力を入れているのか。

「この学校に誇りを持ちたいから、この三重県に誇りを持ちたいへ」

小学校における教員のなり手不足による教育が崩壊の危機に瀕している。不登校・いじめ・虐待の件数が過去最高を記録し続けている。教員の精神疾患も過去最高となる。政府は、子ども子育て支援を打ち出しているが、教育現場に人を増やす、タスクを減らす、教員採用試験を改革するなどの政策は弱いと言わざるを得ない。引きこもりや虐待を未然に防ぐのは、学校現場である。児童相談所の体制強化と合わせてやらないといけないのは、第一次発見となる教育現場の人的環境整備であるはず。

子どもがど真ん中の政治によって、医療、福祉、観光、防災、そして、経済までもが繋がる活性化戦略の中心が教育と言える。教育は未来への投資。教育にお金をかけた国、ないがしろにした国では国力に大きな差が出ている。教育をないがしろにした国は亡びる、どんな財政が苦しくても教育だけにはお金をかけないと未来がないとまで言われたことを忘れてはいけない。教育によって、それぞれが点でしかなかったものを、線で結んで面となり、その面を重ね合わせることでカタチ創られるものがある。人間が作ってしまったものは、人と人が繋がってお互いの意見を出し合い議論し合うことでイノベーションが起こり解決していく。多くの課題はたくさんの人が関わることで解決する、それを創り出すのが教育。難しいことは一人でやってはいけない。

 

 

一人ひとりの声を集めて形にしていきます。

「難しいことは一人でやらない」

私が小学校5年生の時に、父親は新鹿(三重県熊野市新鹿町)の街に,テニスコートを作った。誰も踏み入らないような荒地に目を付けて、さまざまな業種や有力者に頭を下げに回り、みんなの力で作り上げた。全ては子どもたちのために。そのコートで育った私は、大人になって、父親と同じことをしている

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