憲法記念日街頭演説 | 三重県議会議員 喜田健児
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憲法記念日街頭演説

松阪市内で5月3日憲法記念日の街頭演説をしました。

私の挑戦は、憲法の元でのまっとうな政治です。

演説内容の要旨です。

 

私たち庶民の暮らしや中小企業の経営は非常に厳しく苦しいなか、自民党の派閥の中での裏金問題で国民の怒りは、大きなうねりとなるなか、同時に、政治への不信もかつてないほどの状況にあります。

 

私たちの暮らしや生活、子どもの教育、さらには、平和さえも政治によって決められてしまいますが、その政治を執り行う国会議員、首長、県会議員、市会議員を選ぶ選挙に国民の6割がいきません。今の政治を作ってしまった責任は、私たちにもあるという認識に立ち、憲法記念日の今日、街頭から県民市民の皆さんに、魂を込めて、お訴えをさせていただきたいと思います。

 

憲法41条には、「国会は国の唯一の立法機関である」と書かれてあります。選挙によって選ばれた国会議員が国会において法律を作ることができるわけです。首長や県会議員も市会議員も生活と直結するような条例を作ることが出来ます。法律や条例が出来れば国民は、その法律によって縛られたり裁きを受けたりすることになります。

 

日本国憲法では憲法の範囲内でしか国家権力は使えないと明確に、憲法98条において「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令(中略)は、その効力を有しない」と定めて、憲法違反の法律には国民は従わなくていいとしているわけです。

 

権力を持った政治家が権力を行使する上で守らなきゃいけないルールが憲法であると、憲法の条文の一番最後の99条において「天皇又は摂政(セッショウ)及び国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とうたっています。ここには「国民」という言葉がありません。国民は、憲法というルールを守る側というより、「政治家さん、ちゃんと憲法を守って、憲法の枠の中でお仕事してください」と憲法を守らせる側になります。つまり、憲法とは私たちの権利を護るために国家権力を制御するシステムを定めた法となります。憲法のルールの枠の中で権力を使うという考え方が立憲主義です。

 

しかし、この日本において憲法を変えるか変えないかという議論、護憲派ですか改憲派ですか、みたいな議論をしたがるメディアや政治評論家が多くなってきたことをいいことに、憲法の規定を守らずに国家権力が自分たちの思うようにしてしまう出来事が最近多くなってきています。

 

国民の大半は、国家権力の暴走に目を光らせ食止めるために選挙に行き政治に参画しなければならないという危機感がありません。

 

権力者によって、人間の尊い命が軽く扱われ、人間が人間らしく生きていける権利が踏みにじられてきた歴史が日本にはあったことを私たちは忘れてはいけません。同時に、今、ロシアのプーチン大統領によって多くの人間の命が奪われている現実を目の当たりにして、日本国憲法の存在の意味を確認しなければならないと強く思います。

 

そして、困ったときはお互いさま、助け合ったり、支え合ったり、分かち合ったりする日本にかつてあったこの文化この美しさを取り戻さなければとも思います。

 

ロシアによるウクライナ軍事進攻という第三次世界大戦の前夜とも言われる今、私たち一人ひとりが変わらなければなりません。まずは、ご近所さんと小さな平和をつくることを一人ひとりが実践し、子どもを守り、育み、社会的弱者を愛で包み込む地域づくりに一人ひとりが参画し、みんなで一緒になって、小さな平和と自由を作っていく。

 

それだけでなく、それをこの国のリーダー、政治家に、平和と自由の重要性を強く求めていかなければなりません。政治家を見極めて、選挙に行き世界平和を本当に託せる政治家に清き一票を投じることが非常に重要になってきている、そういう局面に私たちは立っていると言っても言い過ぎではないように思います。

 

世界のリーダーとなる人が、地球規模で助け合うこと、他国他者のために生きること、隣国とまずは小さな平和をつくること、その視点が完全に欠落している今こそ、私たち日本の出番であると思います。

 

小さな平和の集合体が世界平和につながります、日本国憲法の理念が、今こそ、求められています。

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